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鎌倉の寺社のもみじが色づきはじめる11月終わり、古民家スタジオ・イシワタリに、木製家具を中心とした“すまうための道具”が並びます。作り手の野木村敦史さんは、デザイナーであり、構造エンジニアであり、家具職人でもあるマルチな作家さん。“力学”と“芸術”が組み合わされた野木村作品の“構造美”はどうようにして生まれたのでしょうか?

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デザインから製作まで、ものづくりのすべてを自分一人の手でやってみたかった。


オリジナル家具の製作というと、芸術的なセンスが第一と思われがちですが、実は僕は理系出身。かつては鉄会社で工場や倉庫の構造設計をしていました。そんな私の人生を大きく変えたのは、とあるテレビ番組。デザインから製作まで、ものづくりのすべてを一人で行う作家を追ったドキュメンタリーで、大きな建物の一部分しか携われない自分には、とても魅力的な仕事に思えたのです。

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構造エンジニアの仕事も、ものづくりには変わりませんが、所詮一人ではできない仕事です。自動車や家電といったハイテク産業はみな同じ。でも、“木”というローテク産業であれば、自分一人でもできるかもしれない。会社生活は居心地がよく、大きな仕事ができるというやりがいもあったけれど、自分がやりたいことをやるなら今しかないと思いました。そして、30歳を機に7年間勤めた会社を辞め、家具職人を目指したのです。


“力学”と“芸術”が組み合わされた構造エンジニアが作る家具。



星の数ほどいる家具職人の中で、自分らしさを出そうと思ったときに、一番の強みとなったのが、構造エンジニアとしての経験でした。僕がつくるもの、デザインするものは、人が使うものです。それを生活の道具ととらえるならば、機能性はとても大事な要素。けれども、暮らしの中の心地よさを追求したとき、人は美しいデザインや気持ちのいい感触を求めます。僕がつくりたかったのは、そんな“構造美”が感じられるものたちです。

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構造エンジニアがつくるものは、たとえば同じ椅子をつくるにしても、いかにシンプルにつくるかに目を向けます。たとえば、この椅子は、四角い木に穴を開けて、スチールを差し込んだだけ。でも、これだけでは脚が固定されないから、椅子の脚と脚の間に力を加えて固定させる。これは、構造力学にそってつくったものです。力学を活かしたものづくりは、作り方はシンプルですが、ムダがないぶんデザインの自由度が広がります。僕はものをつくるとき、左脳で構造を考え、右脳でデザインを創造しています。ふたつの脳をフル回転させながら、使いやすさと美しさにこだわったものづくりを目指しています。


暮らしの中にあってこそ、家具は生きる。


会社名の「すまうと」とは、「住む」に“心地よさ”や“あたたかみ”が同居した「住まう」という言葉に、すまう「人」たちの手助けができればという思いをつなげたものです。家具は単体ではなく、暮らしの中にあってこそ生きるものだと僕は思います。

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今年の夏、由比ヶ浜通りを歩いていたときに、ふと目に入った古民家。それが、僕と古民家スタジオ・イシワタリの出会いでした。特に古民家にこだわっていたわけではなかったのですが、家の中に入った瞬間、僕の作品が並んだときのイメージがぐんぐんと膨らんでいきました。1階の和室に大きなダイニングテーブルを置き、テーブルセットを並べてみたらどうだろう? 2階の廊下に椅子を置いたら気持ちがいいだろうなぁ、など考えるだけでワクワクしてきたのです。

『すまうための道具展』では、箸や箸置きといった小物から、椅子、テーブル、ベッドなどの大物家具まで、さまざまな“すまうための道具”をご紹介します。また、会期中は“つくる人”と“使う人”の交流の場としてワークショップやイベントも企画中です。僕がつくる“すまうための道具”がたくさんの方の生活の中で生きてくれたら、これほど嬉しいことはありません。
聞き手:石渡真由美 写真:福井隆也


【プロフィール】
野木村 敦史 Nogimura Atsushi
すまうと代表 デザイナー・家具職人・構造エンジニア
日本大学大学院理工学研究科海洋建築工学卒業後、日本鋼管工事株式会社に入社。30歳の時に家具職人を目指し、飯能高等技術訓練校木工科へ進む。卒業後、家具職人の街・静岡へ家族とともに移住し、独立を前提に市内にある木工会社に就職し、さまざまな家具を製作。36歳の時に企画デザインから製作までをものづくりとした会社 NOGIMURA company設立(のちに「すまうと」に改名)。2005年、東京国際家具見本市 SOON JDN賞受賞、2008年、Good Design賞受賞、2009年、100%Design PREMIO受賞。